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沖縄自治研究会

沖縄自治研究会

第6回定例研究会 下

○島袋純氏  翁長先生、どうもありがとうございました。
 島袋です。まず私から印象なんですが、恐らく復帰のやり直しというイメージですね。それで、僕のほうは、逆に80年代から初めて憲法とか地方自治法とか勉強し始めて、すぐ思ったのは、何で沖縄復帰住民投票をやらなかったのかと。これはすぐ思いました。本当にあれ、おかしいなと。特に憲法95条。これ、復帰に関して住民投票をやるのは当然だろうと。僕は本土の大学に行きましたので、それでそのとき別に沖縄復帰なんかも全然話題になっていなかったんですけれども、当然ながら憲法を読んで、もうこのプロセスではおかしいなということですぐそういう感じがしました。

 それで、国際法的な基準の視点で、恐らく問題はアラスカとか、ハワイとか、ポーランドに関しましては、既にある国家に、国家でない地域あるいは非加入の地域。国家とかあるいは国際機構に非加入の地域が新しく新たに史上初加盟していくというプロセスですよね。この最初の1ページの2のほうは。

 それで、恐らく日本国政府の発想からすれば、ちょうど香港の返還のように、そもそも固有の領土であったと。そもそも固有の領土を戦争で負けてたまたまぶんどられたと。その地域に対する返還要求と返還した後の法の適用は当たり前なんだと。香港においても、イギリスも結局認めたんでしょうけれども、返還プロセスの中で住民投票なんか一切しない。疑いもなく「当然に」というのは恐らくそういった疑問の余地を挟む必要もなく、何もする必要もなくそもそも固有の領土であって、だからこそ日本法が適用されるのは当たり前だという恐らくそんな議論ではないかなという、今イメージしています。

 ただし、香港の返還よりも沖縄返還プロセスというのはひどくて、香港のプロセスの中では、香港法として今まで香港の統治機構の中で出てきた基本的な法の体系は、すべて認めてくださいよということでしたね。イギリスは慣習法の国なんで、慣習の中から出てきた法律をいきなり制定法でもって転換するということ発想はあり得ないので、それを強く主張したんじゃないかなと思います。

 日本の場合は、慣習法の国ではなくて制定法の国なので、いきなり琉球政府の中で琉球立法院の中で出てきた法律を全部廃止して、日本法を原則として全部適用しようと。全く一切無効にするぞという勧告をあからさまにやっているんじゃないかなと。だから、香港の復帰よりもさらにひどい状況が沖縄祖国復帰ではないかなというイメージです。

 恐らくそれに日本固有の領土で意思なんかも必要なく、当然にそういったプロセスを全く省いて、そもそも日本の一部だったから返還せよと。これは単に国家間の条約に済むんだという話ですね。それに対抗する論理としては、「いや、沖縄はそもそも日本固有の領土なんかではないです」という論理をどこかで打ち立てることによって、アラスカ、ハワイ、ポーランドなんかの加盟と同じような条件でやっていいはずだというところを、どこかで証明しないといけないんじゃないかなというイメージです。


○翁長健治氏  明治憲法から新しい在民主権の憲法に変わって、日本も国家が生まれ変わっているわけです。つまり知事も任命制から住民選出選挙制に変わり、国家の枠組みが変わった。外国に住民統治を引き渡しておきながら、いざ復帰というときに住民の合意なしに、「君らを力で縛る天与の国家権力が天照大神以来、国には賦与さている」と主張していいものでしょうか?

 かかる立法プロセスの瑕疵に、沖縄が意見を発してこなかったのがそもそも問題です。いきなり琉球王朝賛美、独立論になったりしたりして、情念に走ってきた経緯を反省すべきだろうと思うんです。この度の道州制導入は、沖縄と日本本土の関係を再構築する絶好のチャンス到来だと思います。

  日本憲法は、沖縄復帰のような途中からの編入も、途中からの退出も想定してない様です。上原康助氏が衆議院で、沖縄独立論を意識して、日本国からの脱退のプロセスを国会で聞いた事があるようです。法制局長官は“憲法はそういうことを想定はしてない”と答弁したようです。 


○島袋純氏  琉球処分、あるいは琉球併合に関しては研究者が結構いるんですよね。例えば恵泉女学園大学の上村英明さんは、これは当時の国際法であるウィーン条約に違反すると主張されています。この琉球処分は武力による併合。それで基本的に当時の国際法にさえ違反しているからこれは無効であるということです。韓国併合が無効になったのと同じように無効であるということを一生懸命立証しているんですよ。これを国連の場で、彼は市民外交センターの代表なのでずっと言い続けているんですよ。それはそこに焦点が絞ってあって。

 実を言うと復帰の様々な過程、諸立法が国際法違反であるというそれを主張されている研究者はちょっと聞いたことないですね。恐らくやるとしたら、一番近いのは高良鉄美先生が、憲法学者でありながらそもそも国際法の研究から出発したとおっしゃっておられたので、高良鉄美先生あたりかなというイメージですが、こういうことに関する研究をされている国際法学者というのは、今までも僕の知っている範囲では一切聞いたことがないというのが現状ですね。

 それで憲法理論の中で、私は国際法でも憲法の専門家ではなくて行政学という専門なんですけれども。「ネイション(Nation)」が主権を持つのか、「ピープル(People)」が主権を持つのかということで、つまり、国民主権論か人民主権論かでかなり違ってくるんですよね。それで、アメリカ憲法の発想というのは人民主権論なんですよ。主権はピープルなんですよ。ピープルというのは何が違うかというと、一人一人の顔がよく見えるような存在なんですよ。抽象的な存在より、具体的個別的な人々がその権利の主体であるというイメージですね。イメージ的に。

 だから、ネイションという場合になったときには抽象的な国民なんですよ。ネイションって具体的な個別の国民の集合体って考えないので、それで日本の戦後の憲法制定過程の中で「国民」という概念のもとに、実を言うと戦後「ピープル」でアメリカ人が原案をつくったのを「国民」という日本語訳にわざと変えたんですよ。そのために結局どういうことが起こるかというと、抽象的な国民の概念の中に沖縄県民も入ってますよということで広げられるわけですね。「ネイション」なんだから。ネイションは権力を持っているということであれば、結局、沖縄が批准しなくても沖縄もネイションになる、日本国民であるということです。そもそも日本国民であってたまたま参加できなかったけれども、沖縄をも代表した発想で日本という国家は憲法をつくったし地方自治法もつくったとなります。

 そのネイションの概念の中にそもそも沖縄も入っていたので、たまたま投票しなかったけど入っていたんですよという論理構成であれば、それは国民の中に無理矢理入れることによって、その憲法あるいは地方自治法の適用がそのまま正当化されていくんじゃないかなということです。恐らくそれで国民主権、国民という概念で乗り切っていくんじゃないかなと思います。これが恐らく日本の多分、官僚制、あるいは憲法学者の通説。そんなイメージですね。

 ところが、人民、ピープルとなってくると、個別具体的な人々の顔が見える人々の集合体ということで、ピープルということになれば、住民投票をして手続きを経て加盟をしないといけないという手続きがクローズアップされてくるんですよね。ですから、日本政府の中枢は、わざとこういった人民主権、あるいはピープル主権という概念は排斥するということです。意図的にそういった概念に基づかないで、恐らく日本国憲法を解釈し、地方自治法を解釈し、それから沖縄の復帰の様々な経過もすべて解釈して、そもそも日本国民が日本国に入るときに、国民の代表が一応議論したことにそのまま加わるんだからいいでしょうという議論だったんではないかなという、私のイメージです。

 どういう理論的な正当化というのをやっているかわかりませんが、もしかしたらそういった論理であるのであれば、その日本という国がどうやって成り立っているかに関して、憲法学者が言うところ、あるいは政府の通説的な国民主権の概念を、人民主権の概念に質的に転換していく必要があるんじゃないかなというイメージですね。

 そうすれば、復帰の特別措置に関して、住民投票ができなくてその手続きが不法であるということが論理的に出てこないかなという今イメージです。専門ではないので、恐らくもしかしたら間違っていることを言っているかもしれませんが、そんなイメージが今出てきました。


○翁長健治氏  先ほど屋嘉比さんお話のとき、
沖縄自由州と銘打つのか
沖縄特別州と銘打つのか
とわたしが聞いたのには、意識のふくらみの違いにあります。他の道州は改正地方自治法にのっとって作られるでしょうが、沖縄だけは別の立法で作らなければなりません。いずれ政治運動へと展開していく場合、基本法が地方自治法を超えているか、否かはだんだん分かりにくく、勝手な解釈が横行する危険があります。特別州と言えば、これは特別だから他道州とは別の法体系のものだという感じになるわけです。

地方自治調査会会長の諸井氏は、沖縄は一国二制度的発想で大胆な基本法構想を打ち出せと発破を掛けています。ガス抜きではなかろうか、と猜疑心が首をもたげます。政治プロセスの中で基本法の柱が骨抜きにされ、改正地方自治法の枠内に押し込められる恐れは大きいものと、用心しなければならなりません。

つまり、特別法をつくると言って出たものの、挙句の果ては地方自治法の枠に押し込められる、そのかわり、小粒な言い分は結構通ったという回りくねった決着もありえるでしょう。しかしこのような妥協は将来に禍根を残すことになるでしょう。


○屋嘉比収氏 非常に興味深く拝聴しました。
 幾つかあるんですが、例えば沖縄の中で、日本国の平和憲法が形成される過程で、沖縄に軍事基地を押しつけることによって、日本本土では平和憲法が確立したという指摘が沖縄では前々からあります。つまり、平和憲法が形成され確立する過程において、日本国から沖縄を排除し、沖縄に軍事基地を負わせることで、平和憲法が成り立っているのではないかという認識です。

 もう一つは、憲法95条そのものにも最初から沖縄問題が想定されてなかったという指摘でした。つまり、護憲という態度が持つ問題性を、はからずも95条の問題を考えることから改めて問い直せるという指摘だったように思います。今また、平和憲法をめぐる状況が大きく変わっているので、またもう一つの文脈において考え直し議論する必要性があるのですが、非常に興味深い問題提起だったと思いました。

 その際に、一つはやはり翁長先生の言う国際法の観点から「復帰」を問い直していくということが、非常に重要であるということを認識しました。その際に、さっき翁長先生は、僕は質問しようとした質問に既に話されたんですが、ただ一方では日本国家からの離脱とか、あるいは独立という手法もあるのに、それに言及されずに、あえて「復帰」の問題を再度見直そうと考えられている。そのように、独立という手法をとらずに、あえて復帰を見直すということをされたわけですが、それはどのような動機や背景をもって行なわれているのか。この30年間の、この質問はいささか翁長先生の内面的なものに触れるかもわかりませんが、それをぜひそれについて伺いたい。

 今、沖縄や日本の中で、民主主義が形成され成熟して、そういうふうに感情に流されずに客観的にものが言える状況になりつつあるから、逆に今言えることがあると考えているのか。そのあたりも、ぜひ、話をうかがうことができればうれしいんですが。


○翁長健治氏  独立論はあえて言わず、同じ効果を持つものに、沖縄自治州基本法を、仕上げようとなさっている。

沖縄は憲法を批准せず、復帰特別措置法も批准してない、それは批准放棄ではなく、沖縄のやむにやまれぬ現実的な判断から保留していたんだと。「国の統治の枠組みを変えるというのなら、保留していた権利を自由州基本法にかけて実施したい」と言うわけです。


○佐藤学氏  言い訳ですが、私は法律が全然わからないので、建設的なことを何も付け加えられないんですけど。ただ、おっしゃった論理というのは今とてもパッと目が覚めた感じがして。これ本当は法律の先生が来て戴けたら良かったですね。仲地先生がこういう論文を書かれているということですし。

 とかくこれまで権利を行使すべきであった時点で、行使していない以上は、保留してあるのであって、今回本当に憲法を変えるのであれば、そこで自分たちは審査請求権があるというのは、私は理屈として素人の耳にはとてもよく感じたんですけど、島袋先生いかがでしょうか。


○島袋純氏  全く賛成で、そのとおりだと思います。
 1番目の趣旨で、それで真ん中の「*日本統治の法的由来は日本国憲法を沖縄県民一人一人が承認することに始まる」と。これが私が言っていた、要するに人民主権論的な統治の正当性の確保、認知。

 アメリカ人が日本国憲法を押しつけたときは「ピープル」という言葉で、これを想定していたわけですよね。これが、要するにアメリカの政府が構成されている原理なんですよ。ところが、日本の法律学者も、それからもちろん政府の役人も、これをわざと「国民」という抽象的な概念にすりかえることによって、日本のそもそも日本という領土に住んだら日本国民でしょうと。その国民を統治するのは当たり前さと。もう論外にしてしまっているわけですよ。

 それで、日本の沖縄統治の法的由来は何かと。そもそも日本国民だから、そもそも日本の領土だから。「そもそも論」にして、いっさい一人一人が承認するプロセスということを認めないと。これ、おかしいんですけど、結局、国民による国民投票制度によって憲法改正ができたということは、実を言うと人民主権論に基づいて憲法というのは一人一人が承認することによってしか成立できないんだと。ここは残っているわけですよ。残っているわけですよね。ですから、ごちゃごちゃちょっとずつ残って。

 僕も、憲法95条って何かというと、そもそも人民主権論に基づいて政府が構成されるということで、特別な地域に関する特別な法律に関しては、その地域の国民投票が必要であると。これ、僕はピープルという主権に基づいて、当然ながら存在している条項だというふうに解釈すべきだと思うんですよ。

 ところが問題は、これを日本の法律学者の大半と、それから政府は認めてないと。一人一人の承認によって、沖縄が日本国の一部になるということが法的に由来するなんて発想がない。それを日本の中心的な法理論の大半、主要な意見を人民主権論に変えていく戦いを挑まないといけない。これはずっと負け続けて、永遠に負け続けて、ずっと負け続けていることなんですよね。

 このことに対して当然沖縄から言うためにはこれが必要なんですよね。一人一人が承認することによって初めて国家というのは成立するでしょうということを言いたいんですけど、これさえ日本では認めてないと。そこが非常に切り崩すのがきつい場面なんですよ。

 これは、要するに最高裁の判例から何から何までそうなんですよ。日本国憲法がそういうふうにして解釈されている以上、すごい戦いをずっと今まで沖縄から発案して挑み続けているんですけど、ずっと門前払いされ続けている。これをどう突き崩していくかという議論になってくるわけですよ。


○翁長健治氏  私は、ハワイ大学との間で、沖縄復帰プロセスの学術研究を提案します。東西センターは沖縄と繋がりが強く、500~600名ぐらいいの同窓会もあり、高山朝光さんが会長を勤めています。さらに小渕奨学金による留学制度もあります。研究活動を通じてハワイ県人会にリンクを張ると一番いい。


○島袋純氏  法科大学院は      ですよね。


○翁長健治氏  「法的根拠の検証」という奇異な感じのタイトルを出して、こんな問題があるよと注意を喚起してみました。


○島仲徳子氏  私もとても興味深く拝聴いたしました。
 きょう初めて、ここにある沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律第3条というのも見ました。本当に不勉強ですけれど。

 それで、ちょっと印象なんですけれども、こちらの第3条で「従前の沖縄県は当然に地方自治法に定める県として存続するものとする」。「当然に」というこの言葉と、それから住民投票をやらなかった。それは沖縄の人たちに利するものであれば、住民に利するものであれば住民投票はやらなくてもいいというご説明。それと、住民投票を要求した少数はいたんだと。その方たちは、恐らく親米派だったと思うんですね。

 私、きょう先生のお話を聞きながら、私も随分長く生きた部類に入るのかなと。多分、比嘉さんと先生と私だったら、その復帰のころの状況というのが思い起こせるんだと思うんですね。

 私はこの復帰特別措置法と、それから住民投票をやらなかったということを客観的に見ますと、それは私たち、そのときの沖縄の人たちの気持ちを、望みを体現したものがこの法律であったし、住民投票をしなかった。恐らく住民投票という考えも出てこなかったと思うんです。この46年には沖縄の代表も送っていないけれども、日本国としては非常に沖縄の人たちのことに百歩も二百歩も近寄ってできたものがこれだったんじゃないかなと思うんです。

 今、科学的に見ますと、盲点……
(テープ2本A面終了)
……年前は、本当に祖国復帰運動というのがありまして、全県民の何とかという形容がついていたと思います。何とかの願いとかですね。私も高校のころに先生方が教公2法に反対でとか、本当に政治の季節、嵐が吹き荒れていて、全島民の願いという形でこれが出てきたと思うんです。

 こういうことは今こちらに置いておいて、先生がおつくりになりましたこのペーパーの2ページの7ですね。「今、数百年にわたる未来沖縄の岐路に立っている」と。ですから、沖縄は九州・沖縄ブロックではなくて沖縄自治州をつくりましょうと呼びかけるときに、その呼びかけられた私たち沖縄の県民がそういう意識を今持てているのかということについて考えたときに、私は全くわからないんです。

 わからないというのは、人口は、そのときは90何万ですか。33年の間に今130何万になった。その増えた人口の中には、よその府県からいらした方もいらっしゃいますし、あるいは本当に私の身近でも、親族、親戚、兄弟が配偶者に他府県の人と一緒になっているとか。もっと近くで言えば、私の子供たちの意識というのがどういうふうになっているのか。私はとても沖縄の住んでいる私たちの変質というのを考えるんですね。

 復帰運動でこういうふうなのができた。今、その岐路に立っていますよというふうな訴え方でやったときに、本当に同調する、そうだと思う人たちが多くいれば、これは実現できると思います。

 私自身は、自治研究会で本当に知らなかった自治ということがだんだんわかりはじめてきて、沖縄県の自治はやはり沖縄単独でないと駄目だと思うので、すーっとつながるんですけれども、それを沖縄の復帰のときにさかのぼって、その復帰特別措置法のあたりから持っていくときに、これはかなり、先生も書いてらっしゃいます市民啓蒙が事前にきめ細かく組織的に慎重にということをおっしゃっています。全くそのとおりだと思うんですが、やっぱりその文脈で言ったほうがいいのかなとか、混乱状態ですけれども、言いたかったのはパッと目が、私もウロコが一枚落ちました、そうだったのかと。でも、歴史を振り返ってみると、その自然の流れでこれができたような気もするという印象を持ちました。

 もう一つ。そこで、一番若いであろうと思われる宮里大八さんの感想も後で聞かせていただければと思います。


○屋嘉比収氏  今の報告を聞きながら、「未発の可能態」という言葉を思い出しました。要するに、歴史というのはいろいろな選択肢の中から一つの選択がなされ、歴史が一つ一つ積み重ねていくわけですね。しかし、その中で可能性はあったけど選択にもれた選択肢は、選択された歴史とくらべて劣っているわけではない。ただ、選択のときにもれただけで、状況や文脈が違えば、その選択されなかった選択肢が、選択される可能性もあるわけです。その結果が言いか悪いかは、事後的に後でわかってくるわけですね。そこで、選択されなかった選択肢の「未発の可能態」をあらためて考えてみたい。

 例えば70年前後に僕が記憶している限りでは、確かに保守側に復帰に対する住民投票という声が一部であったと記憶していますが、革新側ではほとんどなく、当時言われていたのは、例えば国政選挙拒否闘争というのがありました。68年の衆議院選挙の国政選挙に対して反対の意思表示として、つまり日本国家の国民の一員になるということを拒否する意思表示として国政選挙に行かないという運動がありましたが、それもやはり少数派でした。

 80年代後半から住民投票という考え方が日本でも一般的になってきて、例えば90年代に入ると名護市や沖縄県民の住民投票があったわけですね。

 だから、今復帰から30年が経って、改めてこういう住民投票に脚光、焦点に当てることの重要性を非常に感じました。そういうことを思っていたら、さっきの島袋さんの説明を聞いていると、やはり「住民」では弱いように感じますね(笑い)。

 人民はマルクス主義の色彩が色濃いので、誤解を避けるために住民にしたわけですが、住民という概念だったらおのずから「国民」り中に包摂される危険性もありますね。やはり、そういう観点からすると、「人民主権」を獲得していくことを示す意味でも「人民」でいいかな、と考えたりしました。その問題の重要性を含めて、今の議論は非常に触発的で、逆に今のような時代だからこそ、そういう問題提起が、積極的な意味をもつのではないかと感じました。


○宮里大八氏  指名をいただきましたので、ひと言。宮里です。
 私は生まれたのは復帰後です。ですので、生まれたときから沖縄でした。日本国民ということで生まれています。

 ですけれども、外国とかにも行って、「どこから来たんですか」とよく聞かれますよね。そうすると、必ずと言っていいほど「沖縄から来ました」ということを言っていました。外国で会った沖縄の人も、その方々もほとんど沖縄から来ましたと。日本の方は「日本から来ました」と言うんですけれども、その違いは何なのかなというふうにずっと思っていたんですけれども、それが多分沖縄と日本の感覚的な違いというのが、それは上の方からずっと受け継がれているものがあるのではないかと思っているんです。

 それを考えたときに、本当にはたして沖縄が一つのものとしてこれからやっていくために、どういうプロセスで進んでいくかというのは重要になってくると思いますし、これできちんと例えば学会とか共同研究でやっていくというのも必要だと思うんですけれども、これを学術的なものと進めながらさらに政治的なものというか、沖縄を代表するリーダーの方々が、はたしてきちんとそれを自分の中におさめてと言いますか、それが真の何か一つ柱みたいなのがあって、きちんとそれを明言していただいて、国政と言いますか、日本全体で議論できるような動きというか、そういう流れというのをつくれていければいいのではないかなと思っています。

 ですから、これまで研究されて、皆さんでいろいろ議論されているんですけれども、これをぜひ継続して、学術的にも政治的なプロセスにおいてもずっと続けるような何か一つのものをつくって、最終的には日本全体もしくは最初は沖縄全体でそういう議論を、輪を広げていって、今まで頑張ったものが生かされていけばいいのかなと感じました。以上です。


○仲宗根正勝氏  たまにしか参加しない仲宗根と言います。先ほど島仲さんがおっしゃられた、若者たちがついてくるのかという話なんですけれども。

 簡単に言うと、いろいろな県が国に対して権利を取ってきたと言ったとしても、若者がついてくるには夢とか希望とか、今まで簡単に言えば、10万しかもらえなかったものが15万に増えるよとか、本当にこういうふうな(笑)こうやって沖縄は変わっていくんだということを本当にリーダーシップを持って、リーダーが強力にこうやっていくんだよということを言ってくれれば、ものすごいムーブメントになるんじゃないかなという感じがします。

 ですので、例えこれが自治で、道州制のほうで通ったとしても、今までのような政治のやり方とか。今、独裁者ですね。本当に住民のほうを向いた市長がいるかといったら、自分が考えているとそうでもないような感じがする。国のシステムが変わったとしても、生活が実際変わらなければ、確かについて来ないという感じがしますけれども。

 システムも変わるし、国も変わるし、現場も全部変わっていくんだということがあれば、みんな重い腰も、軽い考えの人もそれについていくんじゃないかなと思います。以上です。


○佐藤学氏  今のお話、これからのリーダーは、これまで10万もらっていたのが、今度は5万しかもらえないよということを言って、なおかつそれでも夢を持とうよということを言わないといけないと思うので、大変難儀な話だと思います。

 翁長先生のお話と島仲さんの話で、復帰の内実そのものというよりは、むしろその手続きの問題で、要するに住民投票が行われなかったというところの手続きの問題を、今使う根拠にできるというふうに考えたほうが良いかなと。

 要するに、翁長先生のご意見はもっと射程の長い復帰の捉え返しということだと思うんですけど、多分それをすると議論が難しくなってしまうのではないでしょうか。だから、さっき根拠として言おうかなと思ったのは、あくまでも手続き上の問題で、これは法的にやるべきことをやってなかったんだから、ということで主張の方がまとまるのではないでしょうか。

 もう一つ屋嘉比先生の話で、人民の話なんだけど、やっぱり言葉として人民というのがこれまたいっぱいいろいろな重荷を背負っちゃっているので、ここで人民ということを言ったときに、多分否定的な意味合いのほうが強いのかなと。だから、難しいですよね。
 さっきパッと思い浮かんだのは、人々なんだけど、ただ、人々というのは、全く抽象的であって、何か主体ではないなという気もするので。何て言ったらいいんですかね、これは本当に。


○佐藤学氏  それが何かの主体としての人々だという感じはあまりしないかもしれないね。我らとか私たちのほうがまだいいのかな。だけど、私たちって何だと言われたら困ってしまうわけで。難しいですね。


○屋嘉比収氏  今の関連で。万葉集を歌う時代の人々を万葉人(マンヨウビト)という言い方がありますが、伊波普猷が古琉球の時代に「おもろそうし」を歌った人々を称して「おもろびと」と言っていますが、それを歴史研究者の鹿野政直さんが、「沖縄人」と書いて「オキナワビト」と読ませています。それは、沖縄人という人種的民族的な意味の帰属性を何とかやわらげたいという配慮で、沖縄「ジン」を「ビト」にしていますけど、当事者としての主体的な側面がなかなか入りにくい気がします。

 やっぱりその部分は、理念としては「人民」、しかし人民はマルクス主義的な色彩が色濃くあるので、誤解を招きかねないし、語句としてなかなか難しい。

 マイクを持ったついでに、「沖縄イニシアチブ」の論者たちが、沖縄の大多数は復帰を選択したのだから、国民として日本国家に沖縄人は主体的にかかわるべきだという議論を展開しています。しかし、沖縄の大多数の人々が復帰を望んだといいますが、何時の時期を指していっているのでしょうか。復帰運動の歴史過程における細部を検討しなければならない。歴史的に見ても、例えば69年の2・4ゼネスト中止というのは、大多数の人々が復帰運動に対する挫折を味わい、その後は不満と批判に変わったわけですね。その二、三年前から日米政府主導の返還協定や本土並み復帰に対して、基地の全面撤去を要求していた沖縄県民から不平や不満が出ていた。2・4ゼネスト中止を契機として、沖縄県民の多数は日米両政府主導の本土並み復帰に対して批判的であり、復帰の内実が問われ復帰そのものの見直しが言われますが、日程が迫っているとのことで日米両政府に沖縄県が押し切られた歴史的経緯があります。

 それを、あたかも60年代からずっと72年の復帰まで沖縄県民の大多数が復帰を望んでいたという大雑把な認識で議論を進めることは大きな間違いです。沖縄県民多数が望んでいたのは基地の全面返還による復帰であり、日米両政府が推進した本土並復帰ではありません。そのような細かな議論をせずに、沖縄県民は復帰を選択したんだという結果論から、沖縄県民は今国民として、当事者として内部に入るべきだという議論には組み出来ません。そのことを一つずつ批判する意味でも、手続きも含めまして、「復帰」についてもう一度再提起するというか、見直す問題提起としても、翁長先生の今日の問題提起を非常に重要であり、興味深く拝聴しました。


○島袋純氏  恐らくスコットランドの自治政府の成立を見ると、ロック的な社会契約制津に基づく政府の新設とうい発想に思えます。例の、いわゆる「沖縄イニシアチブ」なんてホッブス的な発想で、いったん主権を譲渡したら、殺されようが、基本的人権を認められなかろうが、ヘリコプターが落ちようが黙っておけと、そういう発想だと思いますよね。ですけど、やっぱり悪い政府に関しては、革命権、抵抗権を行使して政府をひっくり返すしかないじゃないかという発想が基本的にあるわけですよね。

 それで、社会を構成して、その社会が政府を社会的な安定を守るために構築するという発想がロック的な発想で、人々というのに第一義的に社会の構成員であるというイメージですね。それがあるんですよね。

 それでは社会というのはどうやって形成されるかというときに、人種とか、文化とか、伝統とか、当然、社会的な一体性を持つためには、社会のメディアというのは文化であるし、言語であるし、いろいろな価値観なので当然あるんですけれども、人種とかそういう発想ではないんですよ。ですからピープルと言うときに、そういうスコットランドではインド人が多数いるし、実を言うと、スコットランドというのは多民族社会でケルト語しかしゃべらない人たちもいる。そういう人は今少ないですけどいますし。

 ですから、より政治的な一つの社会を構成する意思を持った人々、それから政府を構成する意思を持った人々という意思のほうが重要視されるんですよね。

 ですから、その沖縄人(オキナワビト)ということよりも、そういった新しく社会をどうにか安定化させて、それから政府をつくりたいと思っている集合体。それをもって人々という発想のほうが非常にいいんじゃないかなというふうに思います。 

 だから、日本社会自体もそういうふうに変わるべきなんですよ。そうしたら、もともとピープルという概念はそういう意味で使われていたのに、わざわざ「国民」に変えて、第三国人、石原さんみたいにそう言ったり、在日朝鮮人の問題が戦後、結局ナショナリズムによってひどくなっていくという非常に大きな問題を提起してしまったんじゃないかなというふうに思います。

 ですから、逆に沖縄の政府の構成の原理がそういったピープルという概念に基づけば、日本国の国家の構成人に対する大きな挑戦になるということで、一つやってもいいんじゃないかなというふうに私は思ってます。 

 それから講和条約、平和条約の第3条のことですね。宮里政玄先生が、これが結局アメリカが沖縄で好き放題やっていて、しかもこれが復帰後も引き続き継続してアメリカが好き放題やっている根拠になっているという話をされていたんですが、じゃこの3条自体、要するに沖縄の統治権分離ですね。どこから来ているかというときに、ちょっと今本をさがしてみたんですけど見あたらないんですけど。

 宇都宮軍縮研究所の発行している「軍縮研究」で明田川融さんが書いてあるんですけれども、日本国の中枢によって、政府によって、あるいは大本営によってだったかな。要するに、日本の防衛のラインを決めるときに、日本という概念の中に沖縄を入れなかったと文章が残っていると発表されています。日本政府そのものが日本という概念の中に沖縄を入れなかったんだということです。だからそれが講和条約第3条、こっちから引きずり出されて出てきたんだということです。だからアメリカは正々堂々と分離したんだから文句言うなということができるとなります。潜在的主権ということは日本政府が後から言い出したことであって、本当は日本という範疇の中に日本政府も沖縄を入れてないじゃないかと。証拠が残っているだろうと。そういうことを今明田川さんが言っているんですよ。

 何で今度はこれが出てきたかというと、本当は琉球王国時代の絡みも出てくるんですけれども、そこまでさかのぼらないとしても、現実問題、平和条約の第3条が出てきたところで、日本国政府自体が認めなかったというところが一つの大きな論点になって、だからこそ復帰をもう1回やり直すべきだという論点にはなるかなと。今、論理構成で考えて。

 ちょっと文章を今探して見つからなかったので言おうか迷っていたんですけど、そういう研究も近年の発見もあるということです。


○翁長健治氏  北緯30度以北は祖国防衛圏担っており、沖縄防衛の第32軍はそれ以南を軍管区としていたので、布令1号は奄美以南をカバーしているのだ、という話は聞いてます。
(発言する者あり)
立法素案の内容と同じぐらい、審議請求権の問題も私は重要あると考えていますので、二柱として研究を進めていただく事を要望します。


○佐藤学氏  そこのところを本当に詰めて考えてはいなかったと思うので、非常に重要な有益なご指摘だったと思いますし、ほかにも何かとっかかりとなるようなことを考えなければいけないと思います。とにかく今日のご指摘は、この案をつくった後で、それをどう実現するかというところでは、一気にわーっと、ということしか考えてなかったので、そこのところで法的な根拠を打ち立てていくべきという、今日のこのご指摘は本当に有益なものだったと思います。ありがとうございました。


○島袋純氏  最後に何かまとめて。


○翁長健治氏  基本法の素案作りと審議請求権の探索の二本柱にして研究を進めていただきたい。発表の機会を与えていただき、ありがとうございました。当研究会の研究の進め方は、外部にも十分に開かれ、極めてユニークな運び方になっています。


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